このページでは「機動戦士ガンダム閃光のハサウェイ」の小説と映画の違いについて解説します。
公開されている映画第1部と小説の違いを比較しました。
両方見た人、映画か小説の片方を見た人、どの人が読んでも楽しめるようにまとめました。
最後まで読みと「閃光のハサウェイ」を何倍も楽しめます。
第1部は小説と映画に大きな違いナシ
・小説「大佐ぁ!」ギギは、ベース・ジャバーのタラップをおりるケネスを見ると、よろよろ立ち上がって、ハサウェイのジャケットをスルッと地に落としていた。
ハサウェイとギギが難を乗り切った直後にケネスがあらわれます。ギギがハサウェイから離れてケネスに向かう場面の一節です。
映画では、「逆襲のシャア」でクエスが(ハサウェイから離れて)シャアに向かうシーンを、ハサウェイが思い出す描写を追加しています。
クエスとギギを重ねるハサウェイを強調するねらいがあったと思われます。
実際、クエスがシャアに向かうシーンはありますが、映画「閃光のハサウェイ」とはアングルがカメラアングルが違います。
ハサウェイから見たアングルで描かれています。
ちなみに、この描写は小説にも登場します。
映画とは使う場面が異なります。
小説では、ハサウェイがケネスと分かれて海岸で休んでいる場面で描かれています
・小説「身構えている時には、死神は来ない。それも戦場の摂理なのだ。」
カーゴ・ピサからクスィーガンダムを発信させる直前のシーンに登場する一節です。
映画ではペーネロペーから攻撃されている最中にハサウェイの脳裏に浮かんだアムロの声として用いられています。
ちなみにアムロの声を担当する古谷徹さんは、「身近な家族に語りかけるような優しさをもって言いたいなと思って演じました。」とインタビューで語っています。
・小説「マフティーだって、新型を手にいれることができるってことだ」
ペーネロペーのコックピットでレーン・エイムにガウマン・ノビルが言ったセリフです。
「新型」とはクスィーガンダムを指します。
映画では「新型」ではなく「ガンダム」と言っていました。